為せば成る

適応障害により休職→退職を経て現在療養しながら就活中。広汎性発達障害(アスペルガー症候群の傾向強)の診断を受ける。自分の人生、充実し生きやすくするために色々学び、考えたことを書き留めていきたいと思います。

久しぶりに

あっという間に時間がたっていました。

現在はお声かけいただいた職場で仕事についていますが、障害年金がないと暮らすのが難しいほどの給与です。

 

感覚過敏なため、一部配慮いただいていますが、それ以外はほぼ一般のかたと変わらない仕事ができています。

 

将来に対する漠然とした不安、これからの暮らしに関わるお金の不安、昨日一昨日は久しぶりに「危ない」と自覚するほど心が不安定でした。

 

もう少しいい給与のところで働きたい気持ちと、職場の人間関係が良いので離れたくない気持ちとでいっぱいです。

 

とりあえずは流れに身を任せて、精一杯仕事をさせていただこうと思います

3月に新刊が出るみたい

『敏感すぎるあなたが人付き合いで疲れない方法』

根本先生の新刊が、3月に発売されるらしいので、チェックしていきたい。

 

明日は久しぶりに大学時代のゼミ仲間との集まりです。以前より不安や億劫さが少ないのは、薬のお陰なのか、本のおかげなのか。

 

待ち合わせの前に本屋さんに寄る予定なので、前の記事であげた読みたい本をチェックし、読めそうなら購入までしたいです。

 

あと、アイコンをやっとで設定できました。かわいい。

 

 

読みたい本リスト

 

ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に働くための本

ちょっとしたことでうまくいく 発達障害の人が上手に働くための本

 

 

 

 

 

 

自己肯定感

※この記事を含め、思ったことを書き出すためにとりあえず書く、を目標にリハビリ的に作成しているので、読みづらさや行間のつながりなど、分かりにくいと思います。

 

 

 

この1週間で発達障害アスペルガー症候群・社交不安症等についての本を何冊か読んでみた。

 

苦手なことやそれについての対処法等々、勉強になることが多かったが、やはりどれも同じようなことばかり。同じテーマについての本を読んでいるので当たり前ではあるけれど、いくら読んでも埋められない何かがあった。

 

そのときに辿り着いたのが「自己肯定感」というワード。

 

どんなに苦手なことや特性、対処法を学んでも、それをするための気力がない。気力がないのは、自身のネガティブさに原因の一反があるのかも知れないと思った。

 

「自己肯定感」について検索すると、今の私に必要なことが見えてきた。

 

「ありのままの自分を認めてあげること。」

 

そこで以下の本を購入し、拝読した。

 

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法

敏感すぎるあなたが7日間で自己肯定感をあげる方法

 

 こちらの本は他人の感情に敏感な人や、他人に合わせて(他人はこう思うだろうから、こうしよう等)行動してしまう人が、いかに他人軸から自分軸へと考え方を変えていくか、と言った内容が書かれていた。

 

著者の実際のカウンセリング経験から、具体的なクライアントのけいけんを載せているので、理解しやすかった。

 

自己肯定感が低い限り、再び就職してもまた人間関係で悩んでしまうかもしれない。そうなりたくない。そのために根本的な考え方をかえていきたい。

 

その思いから読んでみたが、私にとってはそれ以上の良い変化への導きが得られたような気がしました。

 

あらゆるネガティブ思考(不安・恐れ・自身のなさ)が、家族(私は母との繋がりが強いため、とくに母)からの言葉が影響していることに気づけた。

 

親に逆らわない、口答えしない、自分の意見を伝えたら豹変する、少し意見すると倍以上の叱責

 

「お前を殺して私もしぬ」「もうしんでやる」「もうお前のことは何もしない、勝手にしろ」「出ていけ(前の父のところへ行け)」「自分1人でやってきたと思うな」「親がいなければ何もできなかった」など

 

言われてきた言葉を無意識に脳が学習してきていたんだなぁ、と深く納得した。

 

見えない線が、実は綱引きのような太さだった、という気持ちだった。

 

そして、この母の言動は何が原因だったのか?と考えてたときに、幼少期や夫(私にとっての前の父)、母(祖母)や姉たち(叔母)からの抑圧などがそうさせたことも痛く感じた。

 

子供を愛したいのに、頑張ってつくった母親像が否されたと思うと混乱してしまい、どうにも感情にのコントロールが効かなくなってしまったんだと思う。

 

しかし、母がわたしに与えてくれたもの、してくれたこともたくさんある。母への感情の発散、共感を得て、感謝の気持ちが大きくなってきた。

 

「私は私は、あなたはあなた」

良いところがあれば「それが私」

できないことがあっても「それも私」

 

これからは自分を認めてあげること、それを少しずつ頑張っていきたい。

 

余談になるけれど

 

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

「いつも誰かに振り回される」が一瞬で変わる方法

 

 上記の本を以前読んだことがあるので、今回読んだ本の理解がよりしやすくなったような気がします。

抑圧感が万病のもと

今日は図書館へ言って、社交不安症・大人のアスペルガー症候群に関する本をいくつか読んできました。

まだ集中力がちりぢりなので飛ばし読みばかりでしたが、また少し自分の状態を知る手がかりになったと思います。

 

その後母と少し一緒にいる時間があったのですが、ちょっと不安を感じることがあって、「母がいなくなってしまったら、きっとわたしも生きてられない」と突然不安に襲われてしまいました。

 

でも、自分がしあわせになれば周りの人もしあわせになる、という母と祖母の言葉を思い出して、まずは自分のしあわせを考えて動かなければな、と思いました。

 

健全に自己肯定感を高めることができれば、この漠然と居座り続ける不安もやわらぐのでは?

 

なにかに対する不安ばかりを持ってしまうせいか、わたしは仕事に対して一歩踏み出すのがとても遅い。気軽に何社も受ける気力もない。

 

わざと茨の道を選んでしまう傾向が非定型にはあるようなので(?)、そうはせず、着実に自分ができることをメインに仕事を探していこうと思います。

 

できないこともあるけど、わたしにはできてきたことも多いはずなので、ゆっくりゆっくり、客観的に状況を見られるようになれればな、と思います。

 

恐らく家族全員が何らかの発達障害を持っています。診断受けたのは半分、あとは両親と弟1人は受けていません。

 

そのなかで過ごしてきて、母にたくさん甘えてきた状況が、わたしのこの性格をつくる元にもなったと思いますが、これを良い方向へ発揮するのが大人になったわたしの課題だと思います。

 

母には感謝しかありません。

たくさんの、激動のなか、わたしたち兄弟を育て、とても愛してくれている。

自分だって苦しいし、うつの再発を恐れているはずなのに、顔には出さない。

 

わたしはそんな母が安心して暮らせるぐらい、良い方向へと進みたいと感じている。

 

今までは異性の友達ができても、そこから恋愛に発展することがなかった。わたしが、一度友達という枠に嵌めてしまった人からそういった好意を持たれることがとても苦手だったから。

 

けど、本を読んでいると、わたしは異性との適正な距離をつかめていなかったんだなと初めて気づかされました。男女関係なく、同じように接してきました。「普通」がわからないから、自分にとっての「普通」を通してきたけど、社会に出たら錯誤がでてくる。

 

少しずつ、自己肯定感を高めて、人や社会との距離の取り方を学んで、社会復帰にむけてがんばります。

障害って?

発達障害の傾向があるかも知れないとテストを受け、「その傾向は見えない。社会不安性障害だ」との診断を受けたのがちょうど一年半前。

 

転職してから自分の特徴に今まで以上に苦しみを感じはじめたので、担当医を変えてもらった上で話を聞いてもらったら、「過去に受けたテストからは明らかに傾向が見えるので、あとは親から幼少期の様子を聞き取りして、小さい頃から特徴があるとわかれば診断される」とのこと。

 

心理士さんは以前と同じ担当の方だったが、「特徴(個性)なのか障害なのかはあくまで先生が判断することで、わたしたちは点数しか出せない。本人が自覚していて苦しいなら障害。そうでなければ個性」と今回母親に話していたらしい。

 

まず苦しんでなければ受診や検査を望まないし、前回受診したときは苦しいけどこれが何なのかわからないから来たのであって、それを会話ができるから違う、と笑って帰されたときには、しにたくなった。

 

わたしは、根本がだめなんだと、痛烈に思い知らされたような気持ちだった。

 

今回は偶然発達障害のポスターを眺めていたときに、あまりにもアスペルガー症候群の特徴に覚えがあったから調べてみて、その上で受診に至った。

 

結局そこまでに辿り着けないと、あなたの個性だからと笑って帰されて終わりなのか?

 

今日の心理士さんの話だと「本人に自覚がなければ(苦しみがなければ)障害ではない」らしい。

 

この個性が、性格が悪くて、心が弱くて、こんなに悩むなら死んでしまった方が楽だ、って考えるほどに苦しくなっても、これが特徴だと言うことを知らないゆえに、その症状にピンポイントに苦しんでなければそれでも個性で済ませるのか。

 

診察代も安くはない。

なのに「わたしは点数だけ」といい、少ししか話を聞かなかった医師が診断にあわせてテストの説明をした心理士にすごく腹が立った。

 

前の担当医は、発達障害のテストを受けたい、と伝えたときから笑っていた。「あなたはそんな感じがしないけど、ホントに受けたいの?」と。

いきさつを話そうとしても「それは心理士さんと話して」と一蹴。

 

 

今回担当してくれた先生にわたしは救われたけど、このような医師・心理士に振り回されることは少なくはないと思う。

 

診断はまだ下りていないが、傾向がある、と言われただけで、やっと自分の説明書の一部だけでももらえたような気がしたからだ。

 

実際、わたしはそれまでどこの心療内科等に相談しても「思春期特有の」としか言われなかった。

 

メンタル系はとくに自分にあった医師を見つけるのが大変だと言われるけれど、時間もお金もかけた上に、生きる苦しさを余計に突きつけられて帰される。

 

そんな経験を他の誰にもして欲しくない。